突然ですが、私は本を読むのが遅い。
本当に遅い。
興味のある本を物色しては購入し積読になっている。
まぁADHDあるあるです。
その中でも興味があると
1冊1時間もかからずに猛スピードで読み終えることもある。
なにこの落差…。
積読して、同時並行読みとかもADHDあるあるなのですが
たまにめちゃくちゃ早く読み終える本に出会えます。
恐らく、本当に心底興味があるんだと思う。
今回の「今日からしつけをやめてみた」も1時間しないで30分くらいで完読してしまった。
![](https://ebiayu.com/wp-content/uploads/2022/08/slpro-img-202208211704170.jpg)
…結論。
面白いです。
目からウロコです。
乳幼児育ててる方、マジで必読です。
私はこれを座右の銘として枕元に置いて何度でも読み返したい。
それほど、惚れ込んだ良著です。
長男が赤ちゃんの頃の話になります。
人付き合いの苦手な私が、我が子の自己肯定感を高めたいと、
出産した産院で開催されていた赤ちゃん教室に参加しました。
赤ちゃん教室は、幼稚園の先生と保育士の資格をお持ちの先生が手遊び歌を教えてくださったり…
赤ちゃんとの触れ合い、
他のママさんとのかかわり合い、
育児の土台となる自己肯定感など…
育児に関わる色々な根底の大切な部分を教えてくれました。
今でも私の育児の土台になっているのは、
あの時赤ちゃん教室に参加して、あいこ先生と出会えたこと…その時の経験が土台になっています。
その時の経験が今の糧になっている。
日々育児に翻弄されていると、忘れがちな大切なこと。
この本には全てが詰まっていました。
こちらの著書は、
りんごのきという子どもクラブ代表の柴田愛子先生という先生の監修です。
奇しくも赤ちゃん教室の先生と同じお名前のあいこ先生。(赤ちゃん教室の先生とは別の先生です)
赤ちゃん教室で習ったことと繋がる部分、重なる事が多く、
日々多忙な育児の中で忘れてしまいがちだったことを思い出させてくれました😭✨
「しつけをやめてみた」だなんて叱らない育児と混同されそうだけど、
そうではなくて、
子供には子供の発達段階がある。
それを飛ばして躾をしようとしても上手くいくわけがない、
その子が訴えてること、その子自身をよく見て受け止めてあげよう。
そのことがもっともっと深く掘り下げていて、
躾が大事!厳しいのが1番!と思ってる親御さんにも
納得のいくように書かれています。
怒鳴るとか力づくで子供を思うがままに、
大人の思い通りに動かすのではなく、
子供が自身で動けるようになるには、動けるような子に育つにはどうしたらいいのかな?
そういった内容が書かれています。
いつも協力的な夫にも見せたい😭✨
子育てに関わる全ての人に読んで貰いたい素晴らしい良著。
特にごめんなさいを言わせることについての章は、ふむふむ納得!
私が思っていたことと全く一緒です。
実は私は昔、パフォーマンスで「ごめんなさい」を多用していた子供でした。
母は私に「ごめんなさいは?!」とか
「こういう時はなんて言うのよ?!」と長〜いお小言やお説教のあとに必ず言っていました。
幼稚園ぐらいかなぁ?今の長男ぐらいの私は悪知恵も付いてきた頃です。
(ママのお説教を早く終わらせたい…)
(もう早くここからいなくなりたい…)
(早く遊びたい…うるさい。やめて欲しい)
(足が痺れた…早く足を崩したい…)
そんなことばっかり考えて、
親に対して、私が
なんて言えば気が済むのか、
なんて言えば親に許して貰えるのか、そればかり考えていました。
当然、親の望み通りの言葉を言います。
「ごめんなさい。○○したことが悪かったです」
「もうしません」
そうすると、お小言やお説教が終わることを学んでいたのです。
もちろんパフォーマンスとして言ってるだけなので、形だけ。
心のこもった謝罪じゃないし、本当に悪いことをしただなんて反省すらしてません。
「やったー!ママのうるさいお説教が終わったー!いえーい!」
子供の心の中なんてそんなもんです。
母が悪いことやしてはいけないことを教えたくて
熱心なお説教をしても全部右から左です。あぁ勿体ない…。
心からの謝罪を伴った反省なんて幼稚園児に出来ません。
ましてやASDやADHDの特性があったんですもの。尚更ですよね。
本当に心から悪いことをしたと、
胸が痛くなり心の中から反省したのは小学校3年生の時です。
当時、クラスの全員から
「くさい」「おしっこくさい」と言われていた男の子がいました。
今で言えば立派ないじめです。
でもまだみんな悪ふざけで言ってしまう、
悪いことだなんて思ってない、
そういった年齢でもあるので、見過ごしてしまう先生だっているかもしれません。
しかし、当時の担任の先生は違いました。
全員を集めて、泣きながら本気で怒ってくれました。
そして悪いことを嗜める怒り方や叱り方だけでなく、
先生が泣いたのは
「あなた達がそんなことする子だと思わなかった。」
「先生は悲しいよ。とっても悲しい。そしてとっても悔しいよ。」
「同じクラスのお友達なのに、どうしてそんな酷いことが言えるの。
みんなのこと信じてたよ。みんな可愛い素直ないい子たちで先生の大好きなみんながそんなことするなんて本当に悲しい。悔しい」
ということを本気で涙流しながら怒って伝えてくれたんですよね。
素晴らしい先生です。
小学校3年生相手に泣きながら本気で怒ってくれたんです。
その時私は初めてなんてことをしたんだろう。
本当に悪いことをしてしまったんだ…と思いました。
また、先生が個人面談の時に母にそれを伝えてくれたんです。
その時も先生、感極まって泣きながら母に訴えたそうです。
「あゆちゃんまでが言ってたことが本当にショックで、
みんなを纏めるお姉さんのような存在のあゆちゃんだけは言わないと思ってた」と伝えたそうです。
私は家で、母からもそれを泣きながら怒られました。
母も先生と同じことを言っていました。
また、言われた子がどんな気持ちになるのかあなたにわかるのか?それも窘められました。
この時初めて真剣に人の気持ちを考えた気がします。
先生と母親という1番身近な2人の大人が真剣に怒ってくれた。
泣きながら気持ちを伝えて向き合ってくれた。
真剣に相手の子のことを考えました。
母親に相手の子に直接言えないのなら、
よく考えて手紙を書きなさい。と言われ、
本当に心底考えて手紙(と言っても小学3年生の考えた短文です)を自由帳に書きました。
なんて書いたかは詳しくは覚えていません。
文末にごめんなさいと書いたのははっきりと覚えています。
人生で初めて心からの謝罪、気持ちのこもったごめんなさいです。
そのお手紙をその子に自由帳ごと渡しました。
その子のお返事は一言「ありがとう。」と書かれていました。
少し照れくさそうに笑いながら自由帳を返してくれた男の子の笑顔は、
今でも忘れられません。
こんなに酷いこと言ったのに傷つけてしまったのに、
その相手に笑顔でありがとうと言える男の子の懐の深さにも感動しました。
この出来事をきっかけに、
人の気持ちを考えるのが苦手なASDの私ですが、人の気持ちを考えるようになりました。
ASDには3タイプあるのですが、
ジャイアンのような積極奇異型から受動型に切り替わったのもこの頃からでしょうか…。
高学年から中学生にはもう完全に受動型になっていました。(厳密に言えばジャイアンはASDではなくADHDです)
やっと人の気持ちを真剣に考えて、
心からの謝罪を伝えられる、それが出来たのが小学校3年生。
自我真っ盛りの2.3歳や未就学児で、深く反省したり人の気持ちを本気で思いやったり、
心からの謝罪を伝えられる子ってなかなかいないんじゃないかな?
いや、そんな聞き分けの良い大人びた子がいたら逆にちょっと怖いような…😅
「今日からしつけをやめてみた」という本を読んで「ごめんなさい」について、思い出した出来事でした。
おまけ♡
小学校3年生といえば、今から33年前の話です。
その33年前の担任の先生とは今も年賀状のやり取りをしています。
どうかいつまでもお元気でいてほしい、いつかまた再会出来ることを祈っています( ⁎ᴗ ᴗ⁎)